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名古屋市熱田区神宮公園内
昭和62年7月9日国の史跡に指定。東海地方最大の前方後円墳。
全長151m、前方部の幅116m、高さ6.2m、後円部の径80m、高さは後円部13m、前方部16.26m。くびれ部の高さは10.5m。墳丘の西側にのみ高さ4.8mの造り出しがある。
平成元年の測量結果から、前方部の最下段に崩落が認められるほかは、ほぼ完全な形態を留めていることが確認できている。
墳丘は3段築成で、かつては葺石が露出し後円部やくびれ部に須恵質と土師質の円筒埴輪がみられた。周濠は埋め立てられて残っていないが、地籍図では周濠痕跡が見られる。現在の周濠状の景観は後世の改変である。
須恵質円筒埴輪は名古屋市千種区の東山古窯で生産された。造り出し部からは須恵器の子持高杯、杯などが出土したことから、墓前際を行うための祭壇と考えられている。もともと墓前祭は前方部でおこなわれていたが、この古墳のように前方部が高く大きくなる段階で、墓前祭のための場が、別に設けられた。
古墳の北側に小型の前方後円墳があったが、野球場建設のために湮滅した。
伝承では,日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征の折、契りを交わした尾張国造の祖ミヤズヒメ(宮簀媛・美夜受比売)の墓と伝えられ、熱田神宮大宮司千秋家、熱田神宮によって祭祀おこなわれてきた。築造年代は5世紀末に比定される。現在は5~6世紀に尾張に勢力を伸張していた尾張氏の首長の墓と考えられる。
参考文献:探訪 日本の古墳 東日本編
日本の古代遺跡 愛知
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