忍者ブログ
私が実際に見た古墳について
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

danpusan1.jpg

danpusan2.jpg


名古屋市熱田区神宮公園内

 

昭和6279日国の史跡に指定。東海地方最大の前方後円墳。
全長151m、前方部の幅116m、高さ6.2m、後円部の径80m、高さは後円部13m、前方部16.26m。くびれ部の高さは10.5m。墳丘の西側にのみ高さ4.8mの造り出しがある。
平成元年の測量結果から、前方部の最下段に崩落が認められるほかは、ほぼ完全な形態を留めていることが確認できている。

墳丘は3段築成で、かつては葺石が露出し後円部やくびれ部に須恵質と土師質(はじしつ)の円筒埴輪がみられた。周濠埋め立っていない地籍図周濠痕跡周濠状の景観後世改変であ

須恵質円筒埴輪は名古屋市千種区の東山古窯で生産された。造り出し部からは須恵器の子持高杯、杯などが出土したことから、墓前際を行うための祭壇と考えられている。もともと墓前祭は前方部でおこなわれていたが、この古墳のように前方部が高く大きくなる段階で、墓前祭のための場が、別に設けられた。

古墳の北側に小型の前方後円墳があったが、野球場建設のために湮滅した。

伝承では,日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征の折、契りを交わした尾張国造(くにのみやつこ)の祖ミヤズヒメ(宮簀媛・美夜受比売)の墓と伝えられ、熱田神宮大宮司千秋家、熱田神宮によって祭祀おこなわれてきた。築造年代は5世紀末に比定される。現在は56世紀に尾張に勢力を伸張していた尾張氏の首長の墓と考えられる。

参考文献:探訪 日本の古墳 東日本編

   日本の古代遺跡 愛知

 

PR
PREV      
5 4 3 2 1
カレンダー
07 2025/08 09
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
フリーエリア
最新コメント
最新トラックバック
プロフィール
HN:
chiyo
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索
カウンター
アクセス解析
忍者ブログ [PR]
"chiyo" WROTE ALL ARTICLES.
PRODUCED BY SHINOBI.JP
SAMURAI FACTORY INC.