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私が実際に見た古墳について
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名古屋市熱田区白鳥公園内

 

白鳥町に所在し眼下を堀川が流れる。古墳は南方に前方部を向けた全長68m(推定復原75)、高さ7.4mを測る二段築成の前方後円墳でかつて周濠を巡らしていたが、公園整備のときに外堤を削り取られ、前方部は道路のために、後円部は東に接する法持寺の構えのために原形を損じたが、後円部から前方部にかけての形状は往時の面影を残している。本来は100mクラスの墳丘をもち、墳形が断夫山古墳との相似形であったと推定できる。墳丘には土師質(はじしつ)の円筒埴輪を散見する。

1837(天保8)814日、台風によって後円部の大木が倒れ、その下から縦4m、横1.5m、深さ2mの石廊の蓋石5枚からなる石室が露われ、法持寺の住僧が副葬品をえた。その後神宮と寺とで副葬品を元の位置に戻し旧状に復した(『尾張志』『尾張名所図会会付録』)副葬品は筆写絵図によると直刀・鉄矛・六鈴鏡・f字型鏡板付の轡・剣菱型杏葉・雲珠などの馬具類が石室内に描かれている。石室は横穴式石室であり、副葬品なども併せ考えて本古墳は6世紀前半の築造といえよう。

死後、白鳥となった日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が舞い降りた地と伝えられる事から、日本武尊の陵墓とされ「白鳥御陵」と名づけられた。現在では尾張氏の墓と考えられている。

探訪 日本の古墳 東日本編

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