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名古屋市中区大須二丁目
周辺は商業地であり大須観音を中心とした繁華街でもある。日出神社古墳、浅間神社古墳、大須二子山古墳とともに大須古墳群と総称される。現状は、小公園となっており、墳丘をわずかに残すが遺存度は悪い。
公園整備に伴う小規模な発掘調査が1991年と95年に市教育委員会によって実施されている。特に95年の調査は、墳丘を確認する目的で墳頂付近から裾部にかけてトレンチを設定し掘削したもので、現状の盛土の様子が明らかとなった。
江戸時代には清寿院境内の後園「浪越山」と呼ばれ、明治時代には県最初の公園「浪越公園」に、大正時代には市に移管され「那古野山公園」と長らく庭園や公園として利用されてきた。
1995年のトレンチ調査の結果、現在の墳丘盛土の大半は中世以降の積み直し土であることが確認され、現況は20m弱の円墳状を呈しているが、その形状、規模ともに疑問といわざるを得ない。
内部構造は不明で、副葬品も江戸時代に出土したと伝えられる須恵器脚付有蓋短頸壷1点が知られるに過ぎない。市の発掘調査では須恵器片と埴輪片が見つかっている。うち円筒埴輪片は外面の調整がタテハケ後回転ヨコハケのものが多く、わずかにB種ヨコハケのものを含む。須恵器・埴輪の年代観から5世紀中頃の築造と推定される。「モト瓢形ナリシ」という伝聞が残るため前方後円墳の墳形が推定されている。
愛知県史 資料編3 古墳
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